🔷礼儀をどこまで教えるべきか

本日からは、朝に投稿する事としよう。夜は一日の疲れが蓄積し、あまりポジティブな考えが浮かんでこない。

昨夜は仕事の後で、生徒たちの発表会の準備をしていました。

スケジュールと言うものは常に変動していくものであって、それに対して生徒たちに連絡をしても、反応が遅かったり夜遅くに返信が来たり、また言葉遣いがヘンテコリンだったり全くトンチンカンだったりする。

元気な時だったら一蹴することができるのに、昨夜は本当にイラつきながら準備をしている自分がいました。LINEと言うカジュアルなツールを使って連絡事項を一斉送信していることも、生徒が礼儀を欠く理由の1つかもしれません。(だからできればLINEは使いたくはなかったけれど、効率化の為には仕方なかった)

以前、学生から『了解でーす』という返信が来た時もあった。流石にそれは注意しましたが、バイト先などで頻繁に使っていてそれが敬語だと信じ込んでいる。

それは決して敬語ではないし、ここはバイト先でもない。敬語にするなら『承知いたしました。』と表すべきであると。

教えると言う事はサークル活動ではない。教えるもの、教えられるものに対しての礼儀がなければならないと思っています。師に対して礼儀を尽くせない者に良いパフォーマンスなど決して出来る訳がない、とも思っています。でもそれは今時の子供たちにはなかなか理解しづらいことであり、その辺をどこまで突っ込むべきなのか、、悶々と考えて夜中になってしまいました。私自身の疲れもありましたが。

という事で、今後は朝に投稿することにして、気持ちの良い言葉で一日を始めたいと思います。

気持ちが荒む時には茨城のりこさんの『汲む』を思い出す。これまで何度も記事にしてきましたが、再掲載させて頂きます。

汲む ―Y・Yに― 茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

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