芸術の姿

一昨日は、劇作家協会 有志の企画で、
ミュージカル講座を受講してきました。
@座・高円寺

講師はご存知 
青井陽治さんと宮川彬良さんです!

   演出家・翻訳家の青井陽治先生🎶

   最近よく登場です

   オペラから歌謡曲まで、
   スーパー作曲家の 宮川彬良さん✨

お二人とも劇団四季の大先輩。

会場には、
劇作の書き手になりたい人、
プロの演出家、俳優。
ミュージカルを楽しみたい方々が、
入り交じる..

とにかく、
スバラシイ~講座でした❗
(会場で泣いてる人がいた程に..)

青井先生は 書き手(作家)からの
アプローチ。ご自身が永年関わってきた
『ラブレターズ』や、『コーラスライン』
などを例に挙げて説明されました。

宮川さんは敬愛するバーンスタインの
傑作『ウエストサイド・ストーリー』
例に挙げ 作曲家からのアプローチ。
実演を交えて解説されました。

特にモチーフそのものの音の進行に、
作品のテーマが織り込まれている事。
また転調の効果、
音運びの中に込めるメッセージ。。
(以下割愛)

特にラストシーンでは
その下属音が響く幕切れに、
バーンスタイン自身のメッセージが
深く提示されている。。

鳥肌ものであります❗❗

私もその様に『オペラ座の怪人』では
感じていたものでした。
自画自賛ではありませんが。

ラストシーン。

自分のコンプレックスを覆い隠していた
マスクが椅子の上にぽつんと置かれ、
怪人は独り姿を消すのですが、

クリスティーヌによって、
ようやく一人の人間として肯定された
怪人は、もはやマスクは必要ではなくなり、
違う次元へ歩み出したのです。

魂が浄化され、昇華していくような
美しい旋律は
怪人の魂、そのものを現しています。
そして、美しい和声で終止します🌹

(あくまで私の解釈ですよ)

ウエストサイドの幕切れは、
対立するものが一見融和しているかの
様だけど、
それは、そんなに簡単に終わる問題
なのだろうか?

平和の鐘が鳴る中に、
ズーンと響く不気味なF#の音………

《解釈は聞き手に委ねられている。
芸術は何も発言しない、提言もしない。
それが芸術の真の姿だと。
それだから芸術は
全ての人に対して公平であると。
バーンスタインは 祈りにも似た
数々のメロディーたちをこの世に残して、
筆を置いたのではないだろうか、》

↑劇団四季の公演パンフに寄せた
宮川さんの文章です。

作り手がどれだけこだわって
祈りを込めて作品を作っているかと
いうことが、とてもよくわかります。

だから時代を越えて
私たちの心を揺り動かすのですね。

先日 私も加藤道夫『なよたけ』で、
実際に作曲を手がけたこともあり、
とても勉強になりました。

昨今では、ミュージカルが手軽に、
上演出来るようになりました。
もどきも、ふくめて)

決してその風潮にモノ申す!
ではないのですが、

演出家や導き手は、作品についての研鑽を
重ねていかなければいけないということを
強く思わされます。

なんでもありの時代ですが、
『自由にやっていいよ~~』と言って
作品が求めている表現に迫らないで、
参加者に委ねるというのは、
本当はとても無責任な行動だ。

なんとなく流れてしまう音、言葉。

だけど、
音ひとつで、
言葉1つで、
人生が変わる瞬間がある。

作者が込めたその想いを汲まんと、
ジダバタもがき苦しむ時に、
色々な心の襞が刻まれ、

造る側も受けとる側も、
もっともっと深い感動に出会うのだ❗

作者は社会に向けて書いている。

さて、
演じ手は、何をすべきか!?

 …………………………

私が尊敬する
80才になる或る老俳優が居り、
その昔、心臓を射ぬかれた言葉がある。

『台詞と自分との関わりを見つける』
のだ……と。

シンプルで深い。。(゜_゜;)

どんな芸術もみんな時代の子だ。

         By:青井陽治氏

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