お茶目な中田喜直先生のこと。

昨日は6月5日のチャリティコンサートの
打ち合わせ& 伴奏合わせ。
 ~6時間にも及んだ..

今回の6人の出演者はみんな各々に 
本番の舞台やらライブやら何やら続きで、
先月に大まかな流れを作ったものの、
それ以来全く全員集合が出来ず
ずっとメールと電話のみで話し合って
きたのでした。

いや、やるべき事は解っていても
焦りは募ります…

やはりね、会わないと❗

実際やってみると、

この流れはどう?
この歌詞使いたいね?
これはこんなアレンジでいこう!
ここはハモりたいな…

一気に形になる❗

特に今回の挑戦であるラジオ歌謡は、
シンプルであるが故に
アレンジ次第で全く世界が変わる。

《これボサノバ にしよう!》え?
↑小西さんのセンスが光ります

やはりね、会わないと❗

いくらメールで事が済むって、
やはり会わないと

逢う、話す、って
用事を方付ける為じゃないんだよ。
本当に‼

 《誰への愚痴なのって?
  それは聞かないでね~》

ラジオ歌謡
戦後の日本を照らした、音楽による国民の
心の、また文化の復興を志した
ラジオ番組で作られた叙情歌や劇。
(NHK第一放送)
16年に渡り放送されました。
それがその後に『みんなのうた』に
発展していきました。
皆さんがよく知るあんな歌もこんな歌も
ラジオ歌謡から生まれたんですよ。

その作曲者のお一人中田喜直先生は、
私の大学の名誉教授です。

ここで、

え? 中田喜直さんって
滝廉太郎さんや山田耕筰さんと同時代
の方じゃないの…?と思われた方々、
     一杯いるでしょう…❓

       実は私も
  お会いするまではそう思ってました
       (;´_ゝ`)

中田先生は東京生まれ、
幼少からピアノや作曲に親しみました。
(父上は作曲家 中田章氏)
ジャズピア二ストを目指しましたが、
手が小さくて断念、作曲家になりました。

先生は『メダカの学校』『夏の思い出』
『雪の降る街を』などの童謡や日本歌曲や
合唱曲など、沢山の作品を遺し2000年に
76歳で他界されています。

戦時中は陸軍少尉として南方へ、
特攻隊で本土待機中に終戦を迎えました。

また社会問題には積極的に発言しており、
反核や憲法改正のこと等を
よく新聞に投稿されていた様です。

中田先生はいつも飄々としてお茶目で。
そんな哀しみをあまり感じずに居たのは、
私が若かったから、かな…

中田先生の担当講義は和声法。
(和声の理論を学ぶ)

先生のお話しは楽しいので、私達が
『先生、あの話し、聞きたいでーす!』
なんて甘えるとニコニコして
色々なお話しをして下さった事が、
懐かしく思い出されます。

だから先生の歌は優しい。

私は『小さい秋見つけた』が好きだなぁ。

チャリティコンサートでは
中田先生の他の歌も取り上げています。
実際に先生に教えを受けていた私が
歌う中田ワールド‼️

どうぞお楽しみに~ヽ(*´▽)ノ♪

やはりね、会わないと..

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