【フェルデンクライス✖︎声楽ワークショップ】先日10/31(土)は、2つのワークショップを企画・開催しました。参加くださいました皆さま、有難うございました❣️
巷では映画『鬼滅の刃』が社会現象になっている様で、《呼吸》というものが改めて意識されている時ですね。
フェルデンクライス・メソッドでは、一体何が始まるんだろう?と恐る恐る参加した方も多かったのではないかと思います。
フェルデンクライスとは?
集まった10名の参加者、初めはやや緊張気味でした。講師の家本朋子さんの言葉に促され、指示を理解し、ゆっくりと体を動かして行きます。フェルデンクライスでは、講師が見本を見せる事はしないのです。言葉だけで、空間認識をし身体を動かしてゆくだけでも、脳神経がかなり刺激されて行きます。
そしてワークをして行くと、自分の意思とは裏腹に、指示の様には動かせない箇所を発見する事になります。《現在地を知る 》自分のイメージでは、楽に、そして自由に動かせる筈なのに、固まってしまっている体に愕然とするのです・・😥💦 普段の “思考の癖“ の様なものが、動きに制限をかけてしまっているのですね。ワークではその様な 《自分の身体の現在位置》を知り、呼吸と共に普段の逆に一旦振り子を振って行きます。難しい動きは全くありませんが、ほとんどの方がした事のない動きばかりなので、戸惑いが生まれます。そして、また考えながら、動かして行く。。
今回は集まった方々が、年齢もお仕事もまちまちの10人でしたので、呼吸・AO関節・股関節の入り口を体験して頂きました。胸部とお腹を呼吸と共にシーソーの様に動かすワークや、骨盤と脚を一連の動作で繋ぐウエーブの様なワークがあったり。口腔内で舌を動かすワークも。
様々なワークが続き、ふと気がつけば、ワークの最初には動かなかった首は楽に回る(転がる)様になり、可動域が拡がり、身体の中には沢山のスペースができる感覚です。マッサージでもない、指圧でもない、気功でもストレッチでもなくピラティスでもない、フェルデンクライス‼️ また、メソッドでありながら哲学の様でもあるフェルデンクライスは、知れば知る程、奥深いメソッドなのです。
誤解のない様に申しますが、私はフェルデンクライスの関係者ではありません。でも私が感動した事を、周りにも伝えてあげたくて開催した今回のワークショップですが、参加者の満足度や感動が大変高かったので、私自身もとても嬉しかったです。☺️✨✨
そして、、同日フェルデンクライスメソッドのワークショップの後に開催しました声楽ワークショップも、図らずも音楽と通じて自分自身を知り、また癒しの時間となった様です。
人生とは結局、息を伴った“動き“ ( 行動 )である訳で、先述のフェルデンクライスが、呼吸と動きを通じて自分を知る時間であるのと同じ様に、歌うという事は、呼吸と音と通じて自分を癒す時間なのだと思います。言えれば癒えるからです。
ワークの中で、息が吐けなくなっている事、体の支えが浮いて呼吸が浅くなっている事、外に放り出したい筈の言葉を自分の内に飲み込んでいる事、言いたい事が定まらないのに、吐き出さずにはいられない言葉たち(自分が何を感じているのかを見失っている状態)、、様々な事に気がつかされますが、それらも自分を守ってきた盾なのです。
ここまで書いて、私たちが日頃 無意識でしている事を、一度意識してやってみる(真逆にする)だけでも、苦しいと感じている何かの“突破口“になると思います。
究極はやはり、許す、という事なんですね。
こうでなくてはならない! こうあるべきだ!それをしないと大変な事になる!嫌われてしまう!!・・・(涙 こうなるとほとんど妄想の世界ですが。
社会の中で生きる私たちはそうは言ってもやはりその様な窮屈に囚われています。このメソッドの提唱者、フェルデンクライス氏は1940年に確立した、と言いますが、時代は変わってもその苦しさは全く同じ。フェルデンクライスも、私が目指す声楽ワークショップも、そんな苦しさから解放されるきっかけになるワークなのだと思います。そして何より、音楽は楽しいですもの❣️
私も家本朋子さんも、古巣の劇団四季の在籍中に 頑張りすぎて倒れてしまった経験を経て、この様な同じ考えを持って勉強して来た経緯があります。それらの経験が、誰かの役に立つ事を祈って・・・。また、この様なワークショップを開催してまいります。ご期待下さいね〜❣️
コメント
コメント一覧 (1件)
声楽ワークショップ、ドキドキしながらの初参加でしたが、自分の中のガチガチ感や、とらわれていたものから自分で開放する事の大切さを、あらためて強く感じました。
なにより、楽しかったです!
私は、低くて通りがよくない自分の声にコンプレックスがありつつも、歌う楽しさの前では、その事を忘れてしまいます。
ありがとうございました!